気分は放浪記

tramping.exblog.jp
ブログトップ
2011年 06月 23日

宮城県亘理町 災害ボランティア・・・(1)

裏磐梯の写真を載せようと前回書き始めたわけですが、ちょっと話はそれまして6月17日(金)~19日(日)にかけて行ってきた宮城県の亘理町での災害ボランティアの話を書きたいと思います。

一つは自分の備忘録として。

でも、そんな個人的な行動録というだけであればここに公開する意味はないのであって、伝えたいと思う事がありこのブログに書いています。
それは最後の方に書くことになると思います。

書いているうちにだいぶだらだらと長くなってしまいましたので、まどろっこしいと思われる方は読み飛ばして頂ければ幸いです。


6月16日(木)
仕事を終えてそのあと友人との食事に出かける。
待ち合わせ場所が自宅のすぐそばだったのもありがたいが、飲み屋にいってお酒を飲まないというのも初めての経験かもしれない。
そのあとすぐに車を運転するので飲みたい気持ちはぐっと我慢して、21時過ぎにお開きになったあと自宅に戻り出発の準備をする。

3月11日の震災の日以降、図り知る事のできない程甚大且つ広大な地域にもたらした津波の被害。
被災地では復旧のために少しでも多くの手が必要だった。

自分も時間さえ許せば直接被災地へ行って何かしたいと思いながらも、それも叶わずただ皆がそう思うように自分がその時出来る事を、目の前の事を考えながら日々過ごしていくので精一杯だった。

時間は経過しGWを迎えると、被災地へボランティアへ向かう人がぐっと増える。
しかしまたGWが終わると急激にその数は減っていった。

6月に入り、自分は夏期休暇が取れる時期となった。
ただ諸事情から今年もまとまった休みもとれず、せいぜい1日休みを数回取るだけで終わってしまいそう。
とりあえず17日(金)を休む事に決め、学生が夏休みに入る前でもあるしちょうど良い時期なんじゃないかな?と2泊3日の短い期間だが出かけることにした。

6月17日(金)
自宅を出たのは深夜0時。
雨が降り出す中、首都高へと乗り入れ東北道をひたすら北へ進む。

雨のため80km規制が続く中(一部区間は通常時も80km規制だが)、街灯もほとんどついていない真っ暗な東北道をそれほどペースも上がらず淡々と走り、目的地の白石ICの手前の吾妻PAに車を止める。

白石ICのすぐ手前には国見SAがあるのだが、この日の昼食を準備していかなければならないため、24時間営業しているコンビニがある吾妻PAを選んだ。

時刻は4時過ぎ。
さすがに一睡もしないで朝から肉体労働するのは辛いだろうと、ここで仮眠をとることにする。

8時頃に起き朝食にラーメンを食べて、亘理町災害ボランティアセンター(VC)に到着したのは10時頃。

本来このVCでは朝8時くらいから受付を始め、その日依頼のあった案件に対して希望ボランティアの人たちが挙手制でマッチングをしてチームを作っていく。
恐らく9時過ぎくらいには全てのマッチングを終えて、現場へと皆繰り出していくのだと思うので、到着した時は既に皆が出た後だった。

ただ、午前中一杯くらいは随時受付をしていて、途中から応援としていく事が出来る場所もあるとのことだったので、とりあえずVCにて新規受付をする。
受付といっても、ボランティア保険にも事前に加入しておいたし、住所と名前を紙に書くだけのいたって簡単なもの。

ガムテに名前を書き腕に貼り付け、「これからどこか手伝える場所ありますか?」と聞くと、さっそく「それじゃぁ、遺品整理のお仕事へ行ってもらいましょうか。」と、他にもう2名の年配の方と一緒に車に乗せてもらって行く。

到着した場所は、WFP(が寄贈したのだろう)と書かれた大きな白のテント(長さ40m、幅15m程?)が3張り立っているところ。
その横には津波で押し流されてひしゃげた車が何百台と並べられていた。

※今回の写真は全てiPod touchで撮ったものです。
e0110874_2257248.jpg




遺品整理ってなにをするのだろう、と思いつつテントに入ると、そこでは15人くらいの人たちが泥で汚れたアルバムから写真を取り出し、洗浄、乾燥させていた。

作業現場のテントの脇には、作業の終わった写真、書、その他いろんな津波で流されたものが整然と並べられており、時折被災者の方々が訪れ見て周っていた。

この写真洗浄のボランティアは、東京でもいくつかのグループが被災地から写真を持ってきて洗浄、乾燥、またアルバムに入れて戻すという活動をしていて、自分も近場でできるのなら行きたいなと思っていたのだが、実際に現地にきてこの場に出会うとは思ってもいなかった。

でも、とりあえず最初にお願いされたのは、スコップを持ってテントの脇の側溝掘り。

現地でのボランティアというと、泥出しなど体力を使う現場が多いだけに中々年配の方、女性の方は足を向けにくいかも知れないが、この町ではそういう方達でも出来る仕事があり、実際この現場へ来ている人は自分を除けば男性は数少ない。

男手が足りないという事で、力仕事をまかされたようだ。

まぁ、もともとそのつもりで来ていたのでちょうど良いと、スコップを持ってひたすらテントの脇を雨が降ったときテント内に水が浸水しないよう側溝堀りをしていく。
e0110874_2257360.jpg

e0110874_2257267.jpg


休憩の間何人かの人と少し話をするが、ここには色んな場所から色んな思いを持って人が集まっている。

一人の40代くらいの静岡から来ている男性は、震災後ボランティアへ行きたいと思いつつも休みをとる事が出来ず、また会社としても被災地へ行く事を良しとしない風潮があり来られずにいたとの事だったが、仕事で足を怪我をしてしまい現在労災で休業中との事。
ちょっと前まで松葉杖を使って歩いており本当であれば自宅療養のはずだが、会社には内緒で来てしまっているらしい。
まだ体に自由が利かない中、ボランティアとして受け入れてくれる場所も中々無かったそうだが、ここ亘理町では力仕事でないこういう場もあるという事を知り、息子さんと二人で来ているとの事。

お昼休憩を挟み14時頃には大体自分の作業も終了したため、今度は中に入って写真洗浄の手伝いをすることに。
e0110874_2257149.jpg

e0110874_2257199.jpg

e0110874_2257287.jpg


渡されたのは赤色の立派なアルバム。
結婚記念に作られたそのアルバムは恐らく今から30年くらい前の写真だろうか、産まれたばかりの子供の成長とともに一つの家族の思い出がたくさん詰まっている。

作業をしながら子供の笑顔につい笑みがこぼれてしまったり、この家族は今どうしているんだろうかということを考えるとなんとも切ない気分になったりと、複雑な気持ちの中一枚一枚丁寧にアルバムから写真を取り出し、汚れを落として乾燥させていく。

大した時間作業したわけでもないのに、こうやって座って作業するのも結構疲れるもので、体を動かしている方が気分的に楽な気がしないでもない。

作業は15時半には後片付けを済ませて終了する。

終わった後、この現場を仕切っていた方が皆を集めて終礼として挨拶。
地道な作業だけど、こうやってきれいにした写真を見つけて喜んで帰ってくれる人も大勢いるので、感謝しますと。
そしてその挨拶をされた方ご本人も、今日お孫さんの写真を整理済みの写真の中から見つける事が出来たという事を嬉しそうに語っておられた。

津波の被害にあって家ごと全てを流されてしまった人が大勢いる。
避難をするときにわずかばかり身に付けた物以外、何も手元に残らなかった人も。
多くの物を失った状況の中、やはり写真というのは思い出として形に残す事の出来る大切な物なんだという事を改めて感じた。

作業終了後、VCまでまた車で乗せていってもらい、テントを張る場所を探す事にする。

ボランティア用の駐車場兼テント場がVCのすぐ裏手の「町民の広場」という所にあるのだが、長期滞在者も多いのだろう、テントを張るスペースがもう限られているような状況。

他にもテントを張って良い場所が近くにあるとの事なので、VC前に掲示してあった「前沼公園」という場所を目指す。

公園というくらいなので近くまで行けば分かるだろうと、それほど詳細まで場所を確認せず向かったのだが、この辺りだろうという場所を探すもののそれらしい場所が見当たらない・・・。
もう一度戻って地図を確認して戻り、やっと見つけることができた。

自分がイメージしていた公園と違っていたのと、他に誰もテントを張っていなかったので見落としてしまったようだ。

車を止めて早速テントを張りだすと、一台止まっていたワンボックスカーから60歳くらいの男性が降りてきて少し話しをする。
最初車から大きな工具箱等出したりしていたので、工事屋さんか何かなのかと思っていたら、この人もボランティアで来ていて、通算でもう20日間以上この亘理にいるらしい。

とりあえずテントを立てたら食料の買い出し。
ここ亘理町は、VCのすぐそば歩いていける場所にスーパー(ヨークベニマル)があり、またコンビニ、ショッピングセンターなど、被災地の只中にある町ではあるもののほぼ通常通り町の中心地は機能し動いている。

VCのある場所は海岸から直線距離で6km程、海からは勾配もなくなだらかな平野が続いており、津波は途中にある常磐自動車道のある場所で被害を東と西でほぼ分断しているようだ。
ただ、調べてみると震災直後VC近くの亘理駅付近まで海水は押し寄せてきているようだ。

という事で、買い物には何不自由する事はないので、到着した日のお昼だけを用意してその他必要な物はなるべく地元で購入するのが良いだろうと非常食以外は持って来なかった。

調理用のコッヘルもガスストーブもあるのだが、自炊するのも面倒で結局スーパーで弁当とつまみとお酒(一ノ蔵)を買ってテントへと戻る。

日が暮れ始めたころ、テントの外で地べたに座っておいしいお酒と食事を楽しむ。
こうやって外で風を感じながら刻々と色を変えていく空を見ながら、お酒を嗜むのが一番幸せな時間かもしれない。

ワンボックスで来ていたおじさんも、「今が一番気持ち良い時間でしょう」と話しかけてきた。

「この場所は、町民広場の方に比べるとずっと人も少なくて、あっちではボランティア同士、夜は一緒にお酒飲んだり話も尽きなくてそれはそれで楽しいんだけど、ずっとだと疲れちゃうからゆっくり一人の時間を楽しみたくていつもこっちに泊ってるんだよね。」

と言っていた。

1年で一番日も長くなるこの頃、夜も暮れお腹も満たした所でまだ夜の9時頃だったが今日は早々に寝る事にした。

さぁ、寝ようと片づけ始めた時、消したばかりのガス式のランタンを酔っぱらった頭で熱を持っている部分をそのまま手で握ってしまい、左手人差し指と中指に水膨れを作ってしまった。

現場で怪我はしないようにと思っていたのに、こんなところで気を抜いて火傷してしまうなんて間抜けな話だ。

・・・(2)に続く。
[PR]

by kibunwatabibito | 2011-06-23 23:05 | 日常 | Comments(4)
Commented by sakky at 2011-06-24 23:50 x
お疲れ様でした。そして、ありがとうございます。
Toshiさんの積極的な行動には、本当に関心するばかりです。
そして、こうして状況を読めることに感謝してます。
・・・火傷は心配ですが・・・
Commented by kibunwatabibito at 2011-06-25 12:10
sakky さん
やけどの水ぶくれは、翌日の作業で気がついたらきれいに破れておりなんともありませんでした!
変なところで怪我とかしないよう、気をつけないと何ですけどね^^;
Commented by むと at 2011-06-25 19:28 x
写真関係のボランティアもあるのですね。
普段携行するカメラを持って行かなかったToshiさんに感服です。

今日銀座でたまたま写真展示ギャラリーを見つけ入ったところ、
展示内容は被災地のものでした。
畳1帖ほどに伸ばされた写真もあり、それは立派だったのですが複雑な気持ちでした。
Commented by kibunwatabibito at 2011-06-25 23:24
むと さん
写真は言葉だけでは伝えられない事を事実として伝えられる。

今回ボランティアとしての派遣先ではカメラは持っていかなかったので撮る機会は
ありませんでしたが、その光景を前に果たして撮りたいと思うかなと考えると、カメラを
持っていても撮らなかったかもしれません。
でも今回はブログを書くにあたって、人に伝える手段として何枚か写真をiPod touchでですが撮りました。

やっぱり文章だけではその場のイメージを伝えるのは難しく、写真があったほうがわかりやすいですね。


<< 宮城県亘理町 災害ボランティア...      裏磐梯・・・(1) >>